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源頼朝ゆかりの地

伊豆エリアや富士エリアには、源頼朝が源氏再興を祈念した「三嶋大社」や北条政子との愛を育んだ「伊豆山神社」をはじめとし、頼朝が源義経と対面を果たしたと伝わる八幡神社の「対面石」、北条時政が頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して創建した「願成就院」など、ゆかりの地が数多く残されています。
ここではその中から観光におすすめのスポットをご紹介します。

1.観光におすすめの源頼朝・北条氏ゆかりの地

【伊豆エリア】

伊豆山神社

走湯大権現とも呼ばれ親しまれてきた強運守護、福徳和合、縁結びの神様。平治の乱で敗れ伊豆国に配流された源頼朝が篤く信仰し、源氏再興を祈願した神社。のちに箱根神社とともに鎌倉将軍の二所詣の聖地となり、戦国時代には後北条氏や徳川家康も崇敬しました。境内には頼朝と北条政子が座り愛を語らったとされる腰掛石があります。

<ゆかりの人物>
源頼朝 北条政子 源実朝

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走り湯

走り湯

今から約1300年以上前に発見され、山中から湧き出した湯が海岸に飛ぶように走り落ちる様から「走り湯」と名付けられた横穴式源泉で日本三大古泉の一つ。「伊豆の国山の南に出づる湯の早きは神のしるしなりけり」と源実朝が詠んだように、 明治以前は伊豆山神社の神湯として信仰されていました。今も70℃の源泉が毎分170リットル湧き出ています。

<ゆかりの人物>
源頼朝

音無神社

平治の乱後、伊豆国に流された源頼朝と伊東祐親の娘八重姫が、密かに会っていた場所がこの神社のある「おとなしの森」。頼朝が八重姫に会うために日暮れを待ったところが対岸の「ひぐらしの森」だったといわれています。二人の間には男子が生まれましたが、伊東祐親の怒りに触れて殺され、二人の仲も引き裂かれてしまったと伝わっています。

<ゆかりの人物>
源頼朝 八重姫

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修禅寺

大同2年(807)に弘法大師により創建された寺。室町時代に戦乱により焼失したものの北条早雲により曹洞宗の寺院として再興されています。鎌倉幕府2代将軍源頼家が政争に敗れ幽閉され、殺害された寺とされ、宝物殿には岡本綺堂の「修禅寺物語」に描かれた「頼家の仮面」があります。本尊の木造大日如来坐像はその頃に造られたもので国の重要文化財です。

<ゆかりの人物>
源頼家 源範頼

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指月殿(しげつでん)

指月殿(しげつでん)

北条氏によって修禅寺に幽閉され、23歳で暗殺された鎌倉幕府2代将軍源頼家の冥福を祈って母北条政子が修禅寺に寄進した経堂。桂川の南岸、鹿山の麓にあり、数千巻にも及ぶ宋版大蔵経や、釈迦如来坐像が納められています。現在のお堂は江戸時代に再建されたもので、向かって左手に頼家の墓があります。

<ゆかりの人物>
源頼家 北条政子
北條寺

北條寺

北条義時が創建した寺で、義時の嫡子を弔うため七堂伽藍を建立し、慶派の仏師に木造阿弥陀如来坐像(静岡県指定文化財)を作らせたと伝承されています。また、北条政子が寄進したといわれる寺宝・牡丹鳥獣文繍帳(県指定文化財)があるほか、境内には義時の子・鎌倉幕府3代執権北条泰時が建てたと伝わる北条義時夫妻の墓があります。

<ゆかりの人物>
北条義時 北条政子
願成就院

願成就院

北条時政が、源頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して、文治5年(1189)に創建した古刹。その後、義時・泰時の北条氏三代に渡り堂塔伽藍が造営され伊豆屈指の大寺院として栄華を誇っていたと「吾妻鏡」に記されています。大御堂には運慶作の阿弥陀如来座像、不動明王三尊像、毘沙門天立像の5体の仏像(すべて国宝)が安置されています。

<ゆかりの人物>
北条時政 北条義時 北条泰時

蛭ヶ島公園

平治の乱に敗れ、平清盛の継母・池禅尼の命乞いによって14歳で伊豆に流された源頼朝は、治承4年(1180)に34歳で旗揚げするまでの20年間を蛭ヶ島で過ごしました。周辺は公園として整備され、頼朝と政子が富士山に向って立つブロンズ像「蛭ヶ島の夫婦(ふたり)」が建てられています。

<ゆかりの人物>
源頼朝 北条政子

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眞珠院

眞珠院

室町時代開山の曹洞宗の寺院。父・伊東祐親に頼朝との間に生まれた男子を殺害された八重姫は、悲しみの中で頼朝を訪ねましたが、北条政子との結婚を知らされ、この寺の前の真珠ヶ淵に身を投じたと伝わっています。八重姫御堂には「梯子があれば姫を助けられたものを」という里人の思いから今も小さな梯子が奉納されています。

<ゆかりの人物>
源頼朝 八重姫
守山八幡宮

守山八幡宮

願成就院のすぐ近くに鎮座する源氏の氏神、八幡神を祀る神社。境内の鳥居横には「史蹟 源頼朝挙兵之碑」と題した石碑があり、治承4年(1180)に源頼朝が平氏追討のためここで挙兵したことが刻まれています。舞殿の後方の急な石段を登った先にある現在の本殿は慶長2年(1597)に韮山城主内藤信成が造営したものです。

<ゆかりの人物>
源頼朝

三嶋大社

伊豆国一宮として栄え、源頼朝が源氏再興を祈願し深く崇敬した神社。境内には頼朝と北条政子が休息したとされる「腰掛け石」や、頼朝が放生会を行った「神池」、政子が勧請した「厳島神社」など頼朝夫妻ゆかりのスポットが残されています。現在の社殿は安政元年(1854)の大地震の後、再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。

<ゆかりの人物>
源頼朝 北条政子

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【富士エリア】

駒門風穴

富士山の噴火によってできた本穴243.72m、枝穴105.89mの溶岩洞窟。富士山麓では最大規模の溶岩洞窟で国の天然記念物に指定されています。風穴の中腹には頼朝窪と名付けられたスポットがあります。建久4年(1193)、源頼朝は富士の巻狩りでこの地を訪れました。駒門という地名は、頼朝が愛鷹明神に奉納するための馬99頭を集め、この地に柵を作って放牧したことに由来しています。

<ゆかりの人物>
源頼朝

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対面石八幡神社

駿東郡清水町の八幡神社にあり、源頼朝と義経兄弟が対面した時に腰かけたと伝えられる石。治承4年(1180)、平氏討伐を支援するためはるばる奥州から駆け付けつけた義経は、富士川の合戦のためこの地で陣を構えていた頼朝と面会したとされています。境内にはその時植えられたと伝わる2本の「ねじり柿」があります。

<ゆかりの人物>
源頼朝 源義経

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富士山本宮浅間大社

全国1300余の浅間神社の総本宮であり、駿河国一宮として古来朝廷や、源頼朝、北条義時、徳川家康ら名だたる武将の篤い崇敬を受けてきた神社。源頼朝はが富士山麓で巻狩りを行った際、流鏑馬を奉納し、それが富士宮市指定無形民俗文化財の「富士山本宮浅間大社流鏑馬」の起源となったといわれています。北条義時は社殿の修復を行いました。

<ゆかりの人物>
源頼朝 北条義時

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白糸ノ滝(白糸の滝)

高さ20m・幅約150mの湾曲した絶壁から、富士山の雪解け水が湧き出し絹糸のように流れ落ちる滝。富士の巻狩りの際に立ち寄った源頼朝はその美しさに感動し、「この上にいかなる姫やおはすらん おだまき流す白糸の滝」という歌を詠んでいます。国の名勝、天然記念物に指定され、世界文化遺産富士山の構成資産にもなっています。

<ゆかりの人物>
源頼朝

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陣馬の滝

陣馬の滝

富士宮市を流れる五斗目木川にかかる滝。源頼朝が富士の巻狩りの際に、近くで一夜の陣を張ったことから「陣馬の滝」と呼ばれています。落差5m、幅20mと規模は小さいものの溶岩壁の隙間から流れ落ちる豊富な水の流れと周囲の岩が織り成す景観が美しく、日本の滝百選に選ばれています。

<ゆかりの人物>
源頼朝

今回紹介したゆかりの地MAP

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2.大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に描かれた源頼朝、北条義時

源頼朝・北条氏ゆかりの観光におすすめのスポットをご紹介しましたが、2022年大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、源頼朝、北条義時が源氏再興を掲げ、武家政権を築くまでの道のりが描かれました。

そこで、ゆかりの地訪問をより楽しんでいただけるよう、源頼朝、北条義時のそれぞれの生涯を略年表にてご紹介します。

源頼朝の略年譜

鎌倉幕府初代将軍。源氏の嫡流として生まれるも源氏が平氏に敗れ伊豆に流罪となりました。のちに源氏再興を掲げて挙兵し平氏を滅亡させると、征夷大将軍となり約700年続く武家政治を創始しました。
 
1147年 久安3年 河内源氏の源義朝の三男として生まれる
1159年 平治元年 平治の乱で父・義朝が平清盛に敗れ、翌年、伊豆国に流される
1177年 治承元年 この頃、北条政子と婚姻を結ぶ
1180年 治承4年 平家討伐のため挙兵し、伊豆国などを平定
1185年 文治元年 壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼす
1192年 建久3年 征夷大将軍に任命される
1199年 正治元年 相模川での橋供養からの帰路、落馬がもとで死去したといわれる

北条義時の略年譜

父・北条時政、頼朝の妻で、姉の北条政子とともに源氏再興を助け、源頼朝亡き後は鎌倉幕府2代執権として、鎌倉幕府の実権を握って活躍。後に承久の乱で後鳥羽上皇を退け執権政治を確立しました。
 
1163年 長寛元年 伊豆国の豪族・北条時政の次男、北条政子の弟として生まれる
1180年 治承4年 源頼朝の挙兵に父・時政らと従う
1181年 養和元年 源頼朝の寝所を護衛する11人に中の一人に選ばれる
1199年 正治元年 鎌倉幕府二代将軍・源頼家を補佐する13人の合議制の一員となる
1203年 建仁3年 源頼家を修善寺に追放。頼家の弟・実朝を三代将軍に擁立。頼家は翌年、北条氏により暗殺される
1209年 承元3年 この頃から執権と呼ばれるようになり、次第に独裁的になる
1219年 承久元年 源実朝が暗殺され、幼少の将軍藤原頼経の後見となる
1221年 承久3年 承久の乱が起こり、後鳥羽上皇に勝利する
1224年 貞応3年 承久の乱の3年後に急死。病気とも暗殺ともいわれる

3. 最後に ~武士の世 萌芽の地~

平治元年(1159)、平治の乱で源氏が平氏に敗れ、伊豆に配流された14歳の源頼朝。その頼朝がこの地で平氏討伐の兵を挙げたことから、伊豆は武家政権萌芽の地となりました。

また、伊豆国の豪族の次男にすぎなかった北条義時が、父北条時政や姉北条政子とともに源頼朝の源氏再興を支援し、頼朝亡き後は、幕府内の権力闘争を乗り越えて武家政権を確立しました。

静岡県内の源頼朝・北条氏ゆかりの地を巡り、ゆるぎない武家政権を築くために二人の歩んだ波乱万丈の人生に想いを馳せてみませんか。