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久野城址
(クノジョウシ)

久野城址 放射状丘陵の末端を利用し、周囲に堀をめぐらした要害の地。西堀、北堀、大手などの地名や頂上近くに井戸が残っており往時を偲ばせる。

久野城址 放射状丘陵の末端を利用し、周囲に堀をめぐらした要害の地。西堀、北堀、大手などの地名や頂上近くに井戸が残っており往時を偲ばせる。

久野城址

久野城址

久野城址は座王権現社が城内に建てられていたことから蔵王城とも呼ばれ、戦国時代には地元武将の久野氏の居城でした。駿河今川氏の明応年間(1492~1501)に行われた遠江侵攻に際して家臣久野宗隆により築城されたと伝えられ、元亀3年(1572)には武田信玄に攻められますが落城しなかっとも伝えています。天正18年(1590)徳川家康の関東移封後に、城主の久野宗能は下総国佐倉城へ移り、豊臣秀吉配下の武将、松下之綱が1万6000石で入城し、瓦葺建物の建つ城塞へと改装されました。城主を引き継いだ重綱が慶長5年(1600)に移封となり、その後、久野宗能が8500石で、再び城主となります。孫の宗成へと引き継がれますが、元和5年(1619)家康の甥である北条氏重が1万石で城主となりました。氏重は武家諸法度の発布によって山上の城塞部分の破却を行い、城内の主要部を山上から南丸へと移し、城の姿を大きく変えました。寛永17年(1640)下総国関宿藩に加増移封となり、正保元年(1644)に久野城は廃城となったと伝えています。
本丸や高見から南方向を見ると、東海道が東西に延びていることが見通せるため、街道監視の目的で築城されたことがよく分かります。城の各所に曲輪や堀切・土塁・横堀などが残され、戦国時代から江戸時代初期の平山城の姿を良く残しています。城の北側には横堀と大土塁が配され、地続きの北側からの防御を固め、かつて周囲に水堀が巡り、その外側に広がる湿地帯という天然の要害に守られていました。発掘調査では、久野氏時代の建物跡や陶磁器類、松下氏時代の建物跡や屋根瓦が出土し、北条氏時代に行われた山上城塞の破却(破城)の痕跡など、戦国時代の戦う城から、久野城周辺の村落を統治する役所へと、その役割の変化を確認することができました。

基本情報

施設名

久野城址
(クノジョウシ)

郵便番号

437-0017

所在地

静岡県 袋井市 鷲巣1135 他

定休日/休業日

なし

お問い合わせ

電話番号

0538-23-9269

ホームページ

http://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/ (外部サイトへリンク)

備考

袋井市歴史文化館

駐車場

駐車場

あり

大型バス駐車場

なし

普通車の台数

10

施設設備・サービス

ペット同伴

トイレ設備

なし

Free Wi-Fi

なし

富士山ビューポイント

なし

飲食設備

なし

交通アクセス

新幹線を利用する場合:

掛川
(経路) JR袋井駅から秋葉線バス「可睡斎入口」ないしは「市民病院入口」下車徒歩20分

東名高速道路を利用する場合:

袋井IC
(経路) 車約20分

新東名高速道路を利用する場合:

森掛川IC
(経路) 車約40分

ユニバーサルデザイン情報

  • 多目的トイレ

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