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南北朝時代、井伊家は南朝につき、当時の当主、井伊道政が後醍醐天皇の皇子、宗良親王を迎えて北朝の足利幕府軍と、遠江を舞台に戦いました。
現在の摩訶耶寺の北東にある、標高137mの尾根に築かれていた千頭峯城は、井伊家の戦時の城だった三岳城を本城にした、南朝方の4つの支城のひとつ。南に鴨江城、東に大平城、北に天山城、そして、西に千頭峯城がありました。
この城砦を守っていたのは、井伊家の重臣で、方広寺を開創した奥山朝藤。奥山氏は、井伊谷井伊家の分家で、後の世に徳川家康の家臣の四天王となった井伊直政の実母を出した氏です。
延元4年(1339年)、遠江の南朝勢は、攻め入った北朝軍との戦闘に突入しました。高師兼が率いる北朝軍は、鴨江城を2日で落すと、千頭峯城を攻略すべく襲いかかりました。奥山朝藤は、北朝の大軍を数百騎の兵力で迎え討ち、城は3カ月持ちこたえましたが、落城しました。
井伊家、そして南朝にとって、西の最大の拠点が落ちた痛手は大きく、高氏の軍勢も、本城の三岳城を攻撃していた軍に合流したため、1340年に三岳城も落城。最後の牙城となった大平城も陥落し、遠江の南朝勢の抵抗は終わりを告げました。
以降、歴史上にこの城砦が登場することはありませんが、戦国時代とみられる遺構も残っていることから、今川氏や徳川氏が、ここを見張りの砦や駐屯地として利用していたと思われます。
現在、城跡には、曲輪や土塁や、虎口、堀切、竪堀、井戸などの遺構が残っています。
施設名 |
千頭峯城跡 |
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郵便番号 |
431-1413 |
所在地 |
静岡県 浜松市 浜名区三ヶ日町摩訶耶 |
電話番号 |
053-522-4720 |
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備考 |
連絡先:奥浜名湖観光協会 |
駐車場 |
なし |
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大型バス駐車場 |
なし |
ペット同伴 |
不可 |
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トイレ設備 |
なし |
Free Wi-Fi |
なし |
富士山ビューポイント |
なし |
飲食設備 |
なし |
東名高速道路を利用する場合: |
三ヶ日IC |
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交通その他: |
(バス不可) |
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