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金地院
(こんちいん)

南北朝の初期の延元4年(1337年)、後醍醐天皇の皇子、宗良親王は、南朝支援者の参集を画策して伊勢国から陸奥国(東北地方)へ渡ろうとしましたが、途中で船が座礁し、遠江に漂着(他説あり)。皇室領だった気賀庄を頼り、井伊谷の豪族、井伊道政のもとに逗留しました。その間に、道政の娘の駿河姫を妃に迎えました。

翌年、南朝方の鎮守府将軍、北畠顕家が大軍を率いて東海道を西進。宗良親王もこれに合流しようと井伊谷を出ましたが、親王の軍が気賀の葭本の里まで進んだとき、同行していた駿河姫が急死してしまいます。

親王は、姫の葬送を金地院に命じました。以来、駿河姫を開基として祀っています。

墓所は境内にはなく、いまはみかん畑となっている山門の西北にある『岩神様』の碑の裏にある宝塔五輪塔が駿河姫の墓といわれています。姫の法名は、『金地院殿慶岩寿永大禅定尼』。岩神様は、岩の字にちなんでいるのかもしれません。

姫が亡くなったとき、宗良親王の嘆き、悲しみは、大変深いものだったといわれています。

金地院近くの二宮神社は、姫が亡くなったときに親王がいた場所に創建された神社で、宗良親王の臣下が、姫を祀るために葭本に土着して以降、7百年間、社に奉仕しています。神社には、愛用していた鏡も祀られています。

なお、親王は、死後間もなくは、同じ引佐町の同名の二宮神社で祀られ、明治の世になって引佐町の井伊谷宮で祀られるようになりました。

金地院の建立は、1334~7年と伝えられています。明治時代に火災で諸堂が消失し、江戸時代の1729年につくられた観音堂と1788年に建立された山門が残っています。

なお、宗良親王と駿河姫の間には、一児があったといわれていますが、真偽は不明です。

基本情報

施設名

金地院
(こんちいん)

郵便番号

431-1305

所在地

静岡県 浜松市 浜名区細江町気賀8027

お問い合わせ

電話番号

053-522-0924

ファクス番号

053-522-0924

備考

臨済宗妙心寺派

駐車場

駐車場

あり

大型バス駐車場

あり

普通車の台数

20

大型バスの台数

3

施設設備・サービス

ペット同伴

不可

トイレ設備

あり

Free Wi-Fi

なし

富士山ビューポイント

なし

飲食設備

なし

交通アクセス

新幹線を利用する場合:

浜松
(経路) 浜松市駅北口バスターミナル⑮のりばから三ヶ日行きバスで約70分、「よし本」下車、徒歩20分

東名高速道路を利用する場合:

舘山寺スマートIC
(経路) 舘山寺スマートICから引佐・細江方面へ15分

新東名高速道路を利用する場合:

浜松いなさIC
(経路) 浜松いなさICより引佐・浜松方面へ20分

交通その他:

天竜浜名湖鉄道「気賀駅」より車で約10分(所要時間目安)

ユニバーサルデザイン情報

  • フロア手すり
  • 階段の手すり
  • 車いす対応スロープ
  • 手すり付きトイレ

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