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井平城跡
(いだいらじょうあと)

井伊谷井伊家から分家した井平氏の初代、直時が築いたといわれる山城です。築城年は不明ですが、南北朝時代には存在していたようです。

この城が歴史の舞台に浮かび上がるのは、戦国時代。直虎が城主となった井伊家が、それまで仕えた今川氏を離れようとしていたときでした。

遠江と三河の国境の街道沿い、標高300mの尾根にあった城は、軍事的に重要な拠点でした。直虎が井伊谷城の城主となったとき、今川の力は衰え、遠江は徳川家康によって平定されつつありました。しかし、その後、武田信玄が勢力図を塗り替えていきます。

元亀3年(1572年)上洛を目指す武田信玄の大軍が遠江に侵攻しました。別動隊として三河の方から遠江に雪崩込んだ武田の猛将、山県昌景は、進撃の道筋にある徳川方の城を次々と落とし、井伊谷城の手前の井平城に迫りました。

"井伊谷3人衆"と呼ばれた武将たちを中心に、徳川側は奮戦しましたが、昌景の勢いは凄まじく、退却戦を余儀なくされ、井平城は陥落。昌景に奪われました。

徳川家康が武田信玄に大敗した、有名な三方原の戦いの前に、両軍が井平、仏坂の地であいまみえたこの戦は、『仏坂の戦い』といわれています。"井伊谷3人衆"は、井平城が落ちたときに不眠不休で浜松城に逃れたといわれています。しかし、この地の徳川方の武将たちの多くが命を落しました。

三方原の戦いの際、井伊谷は武田軍に蹂躙されることとなりました。しかし、信玄が病死したあとに復興を遂げています。

現在は、段曲輪のようになった城跡の上の段に民家が建っています。脇の説明板には、「この付近には帯曲輪、土塁、土濠、井戸跡等と目される遺構が僅かに昔日の面影を留めている」とあります。

基本情報

施設名

井平城跡
(いだいらじょうあと)

所在地

静岡県 浜松市 浜名区引佐町伊平

お問い合わせ

電話番号

053-522-4720

備考

連絡先:奥浜名湖観光協会

駐車場

駐車場

なし

大型バス駐車場

なし

施設設備・サービス

ペット同伴

不可

トイレ設備

なし

Free Wi-Fi

なし

富士山ビューポイント

なし

飲食設備

なし

交通アクセス

交通その他:

(バス不可) 天竜浜名湖鉄道「金指駅」より車で約15分(所要時間目安)

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