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自耕庵(現・妙雲寺)
(じこうあん(みょううんじ))

妙雲寺

妙雲寺

妙雲寺は、龍潭寺と同じく直虎の菩提寺です。
井伊谷城の女城主として、激動の戦国時代に井伊家を守った直虎は、生涯独身を貫き、47歳(推定)でこの世を去りました。
亡骸は、『自耕庵』に葬られ、庵はその後、直虎の院号「妙雲院殿月泉祐圓禅定尼」をもって『妙雲寺』と改められました。
平成27年(2015年)の11月、本堂で直虎の位牌が見つかりました。その後、南渓和尚の位牌や肖像画も発見されています。
南渓和尚は、龍潭寺の第2世の住職。井伊直平の次男で直虎の祖父、直宗の弟だったといわれています。女城主となる前から直虎を支え続けた、井伊家にとって大切な存在でした。
幼い頃からの許嫁で井伊家の跡取りだった直親(幼名亀之丞)が、今川義元に命を狙われ、追手から逃れる途中に亡くなったと知り(実は存命。※東光院の項参照)、直盛の娘(後の直虎)はその死を弔うために南渓和尚を頼り、出家したとされています。出家の際、和尚は、後に俗世に戻れるように『次郎法師』という僧俗を合わせた名前をつけました。また、次郎は、井伊家の跡取りとなる男子に与えられていた通称だともいわれています。
永禄7年(1565年)直親の嫡男で、まだ幼い跡取り、虎松を守るために女城主となったときに『直虎』と名乗ったのも、武将たちから女性であることを侮られないようにという、南渓和尚の配慮からだったとされています。
井伊家を見事な手腕で切り盛りした直虎が波乱の生涯を閉じたのは、天正9年(1582年)で、奇しくも、父の直盛を桶狭間の戦いで討った織田信長が本能寺の変で殺された年。そのときに信長のもとにいた家康が、命からがら岡崎城に逃れた『伊賀越え』の際の功労の褒美として、家康から万千代の名をもらっていた虎松が陣羽織を受け取ったのを見届けたあとでした。
虎松は22歳で元服し直政を名乗ります。直虎の願いにこたえて出世を続け、家康の養女(松平康親の娘)を正妻に迎えて徳川四天王の一人となり、天下とりを支えました。

基本情報

施設名

自耕庵(現・妙雲寺)
(じこうあん(みょううんじ))

郵便番号

431-2216

所在地

静岡県 浜松市 浜名区神宮寺町 28-3

お問い合わせ

電話番号

0535224720

備考

【問い合わせ先】奥浜名湖観光協会臨済宗妙心寺派

駐車場

駐車場

あり

大型バス駐車場

なし

普通車の台数

5

施設設備・サービス

ペット同伴

不可

トイレ設備

なし

Free Wi-Fi

なし

富士山ビューポイント

なし

飲食設備

なし

交通アクセス

新幹線を利用する場合:

浜松
(経路) 浜松駅北口バスターミナル⑮のりばから奥山行きバスで約45分、「北神」下車、徒歩2分

新東名高速道路を利用する場合:

浜松いなさIC
(経路) 国道257号経由約10分

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