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「次郎法師と虎松」©光山房
井伊直虎は、井の国(遠江国井伊谷周辺)の22代城主・直盛の一人娘として誕生。
直盛には男児がなく、従兄弟の直親を娘の許婚として家督を継がせる予定でした。
ところが直親の父が今川の手により殺され、命を狙われた直親も信州に身を隠します。
幼き直虎は直親が死んだものと思い、自ら出家し、次郎法師を名乗ります。
その後、成人した直親が井伊谷に戻るものの、桶狭間で直盛が戦死、その後、直親も今川家臣により殺害され、井伊家は存続の危機に直面します。
龍潭寺の南渓和尚の計らいで、次郎法師は井伊直虎と名乗り、5歳の虎松(後の直政)の後見人として井伊家を支えました。
その後15歳に成長した直政を浜松城主の徳川家康に出仕させ、見事に井伊家の再興を果たします。
戦国時代の重要な歴史が数多く残る静岡県。井伊直虎をはじめ、井伊氏、徳川氏、今川氏など戦国武将ゆかりの城、寺社などをご紹介します。
直虎が出家をして修行を積んだ寺。井伊谷城主を退いたのち当寺で波乱の生涯を終えたと伝わる。境内には、井伊家当主・家臣団・歴代住職の墓所があり、直虎と直親は隣り合い祀られている。小堀遠州作庭園は国の史跡名勝。
井伊家初代共保公が出生したという伝説のある井戸。龍潭寺山門の南、田園に囲まれたのどかな場所にある。傍らには「井伊氏祖先備中守藤原共保出生之井」の碑が建っている。
徳川家康公が築城し、天下取りの礎となった浜松城。野面積みの石垣は、ほぼ当時のもの。江戸期には、城主の多くが幕府の要職に登用されたことから「出世城」とも呼ばれている。桜の名所としても有名。
井伊谷を見下ろす小高い山の上にある井伊家の居城跡。公園としても整備されており、登ると浜名湖を望める。
新野の左馬武神社には、直虎の伯父・新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の墓と伝えられる石塔がある。新野左馬助親矩は、今川氏に仕えた遠江国新野(御前崎市新野)の領主で、徳川四天王・井伊直政の命の恩人。
今川・武田・徳川軍による争奪戦の舞台となった城。戦国時代には山内一豊が城主として10年間在城した東海の名城。日本初の本格木造天守として復元された天守からは掛川の町が一望できる。
境内に掛川藩主・井伊直勝と井伊直好の墓がある。井伊直勝は井伊直政の長男、直勝の長男が直好。可睡齋では寺領寄進の功績により、中興の開基として祀っている。
駿府城公園はかつて家康公が大御所として住んだ駿府城跡を公園として整備したもの。園内には、日本の伝統的な木造工法によって復元された巽櫓、坤櫓、東御門があり駿府城の歴史を知ることができる。
駿河国の総社として歴代幕府の崇敬を受け、竹千代(家康公の幼名)が元服式を行った場所として有名。社殿26棟の全てが国の重要文化財に指定されている。神社伝来の宝物は境内にある静岡市文化財資料館で見学することができる。
井伊直政の子・二代目彦根藩主の直孝は、駿河国中里(焼津市中里)で生まれた。産湯に使われた水をとったといわれる井戸が今も大切に守られている。焼津市指定史跡。
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