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ぶしのくに 静岡県

徳川家康ゆかりの地

徳川家康

家康イラスト

応仁の乱以降続く戦乱の世を終わらせ、江戸幕府初代将軍として約260年続く天下泰平の世の礎を築いた武将。戦国の覇者。
岡崎城主松平家の嫡男として生まれるも、今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごす。
桶狭間の戦い、長篠の戦い、小牧・長久手の戦いなど日本史上に刻まれる激戦をくぐり抜け、戦国武将として成長。先に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉に忍従する時期を経て、関ヶ原の戦いに勝利し天下人となる。
幾多の苦難を乗り越え忍耐の末に、歴史に残る偉業を成し遂げた家康は、死後、久能山東照宮に埋葬されるとともに神格化され東照大権現として祀られている。

幼少期 1542 三河国 岡崎城で誕生(父は松平広忠)
1549 駿府 今川義元の人質となり駿府へ出発
1555 駿府 静岡浅間神社にて元服
1560 駿府 桶狭間の戦い
織田同盟/豊臣臣従時代 1562 三河国 織田信長と同盟を結ぶ
1564 三河国 三河の一向一揆を平定(三河一国を支配)
1570 三河国 姉川の戦い/浜松城築城(岡崎から浜松へ移る)
1572 浜松 三方ヶ原の戦い(武田信玄に敗れる)
1574 浜松 高天神城落城
1575 浜松 長篠の戦い
1581 浜松 高天神城奪回
1582 浜松 天目山の戦い(武田勝頼を滅ぼす、駿河を領有)
1584 浜松 小牧・長久手の戦い(豊臣秀吉と和睦)
1586 駿府 浜松城から駿府に移る
1588 駿府 駿府城の天守が完成
1590 江戸 小田原攻め/江戸入り(関東を領有、約250万石)
晩成期 1600 江戸 関ヶ原の戦い(天下人となる)
1603 江戸 征夷大将軍に任じられ、江戸幕府を開設
1607 駿府 駿府城に隠居(大御所として政治に関与)
1615 駿府 大阪夏の陣(豊臣氏滅亡、元和偃武)
1616 駿府 家康死去(75歳)
大河に先駆け 家康ゆかりのスポット

今川氏の人質として駿府に居住していた幼少期ゆかりの静岡浅間神社をはじめとし、織田信長と同盟を結び、三方ヶ原の戦いで大敗する等、武将として大きく成長を遂げた青年期から壮年期ゆかりの浜松城や高天神城、そして、天下人となり江戸幕府を開いた後、再び駿府に戻り居住した駿府城や家康が眠る久能山東照宮まで、家康の歩んだ足跡をたどりながら代表的なゆかりの地の見どころをギュッと凝縮してご紹介します。 静岡県と家康の深いゆかりを簡単に知りたい方はまずこちらをご覧ください。

ゆかりの地マップ

MAPの見方

観光におすすめのスポット

日本の長い歴史の中で、中世から近世にかけての武士の時代は、映画やドラマ、小説や漫画でもよく描かれ、幅広い人気を集めています。その武士の時代を彩った幾多の武将の中で、一番有名な武将といっても過言ではないのが、徳川家康ではないでしょうか。静岡県は家康の75年の生涯のうち40年以上を過ごしたゆかりの深い土地。特に中部エリアから西部エリアに数多くのゆかりのスポットがひしめき合っています。ここではその中から、観光におすすめのスポットを家康とのゆかりとともにご紹介します。

幼少期

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静岡浅間神社

古くから駿河国総社として朝廷、武将らの篤い崇敬を集めてきた神社。家康がこの神社で元服式を行ったことや、武田氏との攻防の折に社殿を焼き払うことを余儀なくされたものの、後に誓いを果たし再建を果たしたことが伝えられています。江戸時代末期に全国から職人を集め60年をかけ再建された現在の社殿群はすべて国の重要文化財に指定されています。

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清見寺

臨済宗妙心寺派の寺院。駿河湾を望む天然の要害に位置しており、古来幾度となく戦乱に巻き込まれてきたため、足利尊氏、豊臣秀吉、今川義元、徳川家康ら名だたる武将にゆかりがあるお寺です。「家康公手習いの間」の遺構が残されているほか、家康が朝鮮との国交回復のために再開した朝鮮通信使に関する記録が残されています。

織田同盟・豊臣臣従時代

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浜松城

戦国時代(1570年)に家康が築き、29歳から45歳までの約17年間を過ごした城。家康がこの浜松城を足掛かりに天下統一を成し遂げ、歴代の城主も次々と江戸幕府の要職に就いたことから「出世城」と呼ばれ、パワースポットとしても注目を集めています。天守閣は1959年に復興されたものですが、野面積みの石垣は400年の時を超えその姿を今に残しています。

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小國神社

1400余年の歴史を持ち、遠江國一宮として皇族や武将らから篤い信仰を集めてきた古社。 境内には、犬居城攻略の道すがら参拝した家康が腰かけたとされる石があり、その後幾多の試練を乗り越えて天下統一を成し遂げたことから「家康公立ち上がり石」と呼ばれています。杉や檜の巨樹が繁る広大な御神域・古代の森は紅葉の名所としても有名です。

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法多山 永尊寺

厄除け観音として親しまれている法多山は、高野山真言宗の別格本山で、725年に行基上人がこの地に本尊正観世音菩薩を安置したことが縁起とされています。武将からの崇敬も篤く家康には五万石の格式を以って遇せられたと伝えられ、本坊前には家康お手植えの松が残されています。江戸城登城の土産物に加えられた名物厄除け団子は今も地域で愛されています。

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秋葉総本殿 可睡斎

室町時代初期に開山した曹洞宗の巨刹。家康は幼少期に臨済寺で、後に可睡斎11代住職となる等膳和尚に教育を受けていました。後に浜松城に招かれた和尚は、家康の御前で居眠りをしてしまいます。可睡斎の名は、その姿をご覧になった家康が、和尚を叱ることなく「和尚、眠る可し。」と仰せらたことに由来していると伝えられています。

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医王山薬王院 油山寺

行基が701年に開山した目の霊山として知られる真言宗の古刹。家康が武田信玄と戦いの際に、油山寺に立てこもり、油山寺一山の守護神である軍坊大権現に戦勝を祈願した。すると、神が現れつり鐘を授けられたので、そのつり鐘を溶かして鉄砲を作り武田軍に挑んだところ、まるで神が乗り移ったような勇ましさであったという昔話が残されています。

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高天神城跡

標高132mの鶴翁山の地形を生かして要衝に造られ、「高天神を制するものは遠州を制する。」と言われた山城。東海一の堅塁を誇り、難攻不落の名城と謳われたこの城では、徳川家康と武田信玄・勝頼による攻防戦が繰り広げられました。特に1574年と、1580年の2度に渡る戦いは「高天神城の戦い」として戦国史上でも激戦として有名です。

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掛川城

室町時代に今川氏によって築かれた城。桶狭間の戦いで今川義元が討たれた後、掛川城に逃げ込んだ子の氏真を家康が攻め、半年に及ぶ攻防の末、領有することとなったと伝えられています。後には山内一豊が在城し、大規模な修築を行いました。貴族的な美しい外観から「東海の名城」と謳われましたが安政東海地震により倒壊。現在は天守閣が復元されています。

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富士山本宮浅間大社

全国1300余の浅間大社の総本宮であり、駿河国一宮として古来朝廷や、源頼朝、北条義時、徳川家康ら名だたる武将の篤い崇敬を受けてきた神社。境内には富士山八合目以上を含む。現在の社殿は徳川家康の寄贈により造営されたもので、社殿の隣には、かつて富士登山者が禊を行った富士山の伏流水が豊富に湧く湧玉池(国の特別天然記念物)があります。

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三嶋大社

伊豆国一宮として栄え、源頼朝が源氏再興を祈願し深く崇敬した神社。頼朝の武勲にあやかろうと多くの武将に信仰され、家康も1954年に330石を寄贈。さらに関ヶ原の戦いの後、200石を加増しました。現在の社殿・幣殿・拝殿は江戸時代を代表する建造物として重要文化財に指定されています。また、縁起餅「福太郎」がお土産として人気です。

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山中城跡公園

"戦国時代末期に北条氏により築城された山城。天然の要害の地に築かれ、畝掘と障子堀を多用した難攻不落の城であり、北条氏の西方防衛に重要な役割を担っていました。しかし、1590年、家康軍が主力部隊として一翼を担った豊臣秀吉の小田原征伐において、激しい攻撃を受け、わずか半日で陥落したと伝えられています。

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伊豆山神社

祭祀の起こりが上古に遡り、全国の伊豆神社、走湯神社の起源となった神社。平治の乱によって伊豆国に流された源頼朝が篤く崇敬し、鎌倉幕府を開いた後には、関八州鎮護と称え多くの土地を寄進したと伝えられています。戦国時代には頼朝を崇拝していた家康も参拝し、その後天下統一を果たしたことから、強運・天下取りのご利益があることで知られています。

晩成期

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久能山東照宮

家康の遺言により、秀忠によって創建された神社で、徳川家康を神様として祀る全国東照宮の創祀。国宝にも指定されている総漆塗・極彩色の社殿に、天下統一を成し遂げ、太平の世の礎を築いた家康の偉大な功績や江戸時代初期の豪華な文化を感じ取ることができます。博物館には徳川歴代将軍が所有した太刀、甲冑、装身具など貴重な品々が収蔵されています。

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駿府城公園

1585年に家康が築城し、江戸幕府将軍職を秀忠に譲った後、江戸から移り晩年を過ごした城。当時の木造建築は残されていませんが、東御門、巽櫓、坤櫓が復元されており、公園として整備された跡地は市民の憩いの場となっています。公園内にある静岡市立博物館では、家康や今川氏の歩みなど静岡市で育まれた歴史と価値を発信しています。

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三保松原

日本新三景、日本三大松原の一つで国の名勝にも指定されている霊峰富士を仰ぐ景勝地。古くから多くの文化人を魅了し、絵画や詩歌の題材として取り上げられてきたことから「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つとして世界文化遺産にも登録されています。家康も御座舟から眺めたり、朝鮮通信使をもてなしたりしてこの眺めを愛でたと伝えられています。

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